私は高校卒業後すぐにリゾートバイトで沖縄に行きました!周りの人には就職か進学を勧められていたんですが、反対を押し切って沖縄に行こうと思ったのが沖縄に行く1ヶ月前というなんとも行き当たりばったりな人生です笑
人とは違う行き方をしなければと思った経緯があるのですが、、、その話をすると私の生い立ちから話さないといけなため結構長くなるので今回ブログで書き起こさせていただこうと思いました😁
まずは私が実はハーフだということですかね!フィリピン🇵🇭✖️日本🇯🇵のハーフなのですが、見た目はほぼ日本人です笑
初めて会った人は99%私がハーフだって分からないと思います😅なので自分から言わないとハーフだって知られることはないので、友達にも1年越しとかに実はハーフなんだよねと言ってめちゃくちゃ驚かれます😆
将来の夢は起業家で内容も大方決まっています。まだまださきのことになりますが今は経験を積まなければ💦
今必要な知識と経験
- ビジネスの知識
- 英語のみではない語学力
これが私がワーホリに行こうと思っているきっかけです☺️もちろん語学力やビジネスの勉強は今どきオンラインでいくらでも出来ますが、私が大切にしているのは人との交流です。私自身小学校の頃に対人へのコンプレックスがあったため、いかに人と交流するのが大事かを実感しているのです。
生い立ち
ここからが私の人格形成に関わってくる話になってきます。
私は静岡県生まれなのですが親が国際結婚でかなりの歳の差婚でした。ハーフあるあるなのかもしれませんが、貧しい家庭が多いのが東南アジア諸国の方との国際結婚の家庭です。私も例外ではないので貧しい家庭でした。
まずガス代は払われていないので
- 夏は水シャワー
- 冬は沸かしたお湯で水浴び
このような生活が続いていました。
ここまでは普通の貧乏な家の話なのですが、私の両親節約をすれば不自由なく暮らせるぐらいには働いていたので稼ぎが少なすぎるというわけではなかったのです。なぜこんなにも貧乏なのかというと浪費が激しい❗️というなんとも自業自得な話です。
お風呂に入れないので学校に行くにも自分の臭いが気になって仕方がありません、その割には食べ物は豪華で買いたいものはすぐ買っていました。分かりやすい例で言うと携帯はいつも最新型のiPhoneでした笑
昔から気になっていたのですが両親のお金の使い方が荒いのを私がどうにかしないといけないと思い始めたのは12歳小学校6年生の時でした。
と母親に聞きました、母親はなにそれ?状態だったのでこれはもうダメだと幼いながらに思っていました。
こんな中私は13歳になり中学校に上がりました。生活環境は変わらず私は親に対してとても強いコンプレックスを感じていました。
子供といっても小学校高学年からはみんなも賢くなり、あの子の家は変だよとか、まぁ私はお風呂に入れなかったので不潔だと思われるわけです。それは中学校に上がっても変わらず、、、
貧しい割に浪費をしているのですから、家賃も払えない状態になります。ここが私の人生のどん底になるのですが、
家族全員アパートをすぐに出ろと追い出されました。
引っ越し資金的なお金が数万円程度あったらしいのですが、一攫千金を夢見た父がパチンコで全てを溶かしたため、次住む家も決まっておらず親戚の家に転がり込み1ヶ月間の居候をしていました。
この時期が人生で1番ストレスを感じていた時だと思います。叔父の家に居候させてもらっていたのですが、、、生理的に昔から少し苦手でした笑ニキビも目立たなかったぐらいなのにその時は顔中に出てきました。
この頃から私は大反抗期で両親に
と怒鳴り散らかし、
と大人からしたらなんだそれって感じですよね、、、
でも当時の私は必死でした、自分が家計簿を作り親の浪費を辞めさせなければとずっと考えていました。
この居候の期間のおかげで私は将来について真剣に考えるようになりました。
当時中学生だった私は働けるわけもないので、不労所得を得るためにビジネスについて勉強をし始めます。まずは簿記について勉強し投資、FX、ファイナンシャルプランナー、アフィリエイト、不動産など様々な業界について片足を突っ込み情報を血眼で探していました。
中学生の時みかんのビジネスブログという雑記ブログを6ヶ月運営していたことがあるのですが、学校が忙しくなり広告をつけることができてこれから伸びるかもしれないって時にリタイアせざるを得ませんでした。今思うと続けていれば収益化を見込めるような伸び方であったなと思い残念でなりません😢
ですがいろんな業界を調べている時間がきっかけで自分で起業するという道があることを知ることができました。この時間こそが今の将来の夢につながっています。またビジネスについて勉強することで普通に働いているだけじゃ日本で生きていくには厳しすぎると中学生ながらに感じました。なので私は就学も進学も選ばずに大胆な道を行くことができたのです。
両親もこの居候期間でやばい💦と感じていたのでしょう、両親2人とも本業+アルバイトで家計を支え母は献立を考え家計簿をつけたり、父はパチンコに行かなくなりました。
今では何不自由なく生活が送れています。
ここまでは私の黒い部分を読んでいただきましたが、私の人生なんだかんだ面白いことが多くてですね笑この貧乏家庭のエピソードに付け加えないといけない話が何個かあるのです。
まずはアパートの上の階の人と仲良くなり旅行に連れてってもらっていたということです
アパートの上の階には昔シェフをしていたという老後の年金生活をしている「あべさん」というおじいさんが1人で暮らしていました。この方はもう亡くなられてしまったのですが、家族ぐるみで仲良くさせてもらっていました。
最後の病院の付き添いにも行きました。何がきっかけで仲良くなったのか分かりませんが、私の母はフィリピン人のためとてもフレンドリーだったのですぐにあべさんと打ち解けてしまいました。
あべさんは度々私の家庭に作った料理を持ち込んでホームパーティー的なものをしてくださっていたのですが元シェフだったのもありそこらへんのお店の料理より美味しいわけです。貧乏なはずの私の舌はとても肥えてしまいました。
そして回らない寿司屋や温泉、国内では京都や千葉などにも旅行に連れてってもらいました。1番すごかったのはフィリピンに旅行に行った際泊まったホテルが天皇陛下が泊まる程格式高い高級ホテルだったことです。
このように貧乏とお金持ち両方の経験があるというのはなかなか特殊だと思います。また私は1人っ子であったために話し相手はあべさんであることが多く、話す内容はニュースの時事問題がほとんどでした。
中学生ではソフトボールをしていました。
朝は6時に起きて朝練に向かい、授業を受けてから日が沈むまで部活の練習をして、家に帰ったら自主練をする。最初の頃は家に帰った瞬間玄関で寝てしまうことがほとんどでした。
そして心機一転、高校ではボクシングを始めました。最終的には全国3位になるのですが、これはまた別の話ですね💦
高校時代アルバイトも同時に行っていたため1日休みはほぼ0でした。長期休みに入ると朝は9時~13時までボクシングの練習週末は14時~平日は17時~バイトの生活をほぼ毎日続けていて、ひどい時は17日間続けていました。栄養剤がないと動けない程だったのでただただ頑張ったなとほめてあげたいです。
まとめ
今回は私の生い立ちについて書かせていただきました。最後はだいぶ駆け足気味でしたが💦内容は小学校~中学高くらいの話で中学校~はまた長くなるので別の機会にさせていただきます😁
とりあえずこちらを読んでいただければ私がどんな理由で行動してるのか少しでも伝えられることができたのではないでしょうか。